2015年 01月 15日
雨の日 |
雨の朝、
シャッターをあけて、
準備に向かう、
ふとふりむいてガラスの向こうを見ると、
こちらを見つめるとてもちいさな存在、
店の中に向かうが気になってまたふりむくと、
じっと立ち止まりまだこちらを見つめる、
エリザベスカラーをつけたちいさないぬ。
おさんぽの途中で、
いつものようにだいすきな友だちの家に寄ってピンポンを押して出てくるのが待ちきれない!
というような表情をしている。
たまらず鍵を開けて手を差し出すと2本足で立ち上がって前足をかけてくる。
とても軽い。
おはようおはようとあいさつをするといがいとあっさり去っていった。
なつっこくて人がすきなんだろうか、
ガラス越しにわたしはどんなふうに見えていたのだろう。
雨の公園。
池の水面につぎつぎと雨粒が落ちる。
広がる波紋にまた雨粒が落ちて重なる。
重なっては消えて、
無数に広がっていく。
ムクドリが群れをなして草をついばんでいる。
わきを通るといっせいに低い木に避難する。
ヒヨドリは単独で鳴きながらあちこちとびまわる。
見上げると、
葉を落とした木々が白い空に枝を広げている。
遠くから、
都会ではあまり聞くことのない鳥の声が聞こえる。
まいにち公園を歩くようになってから、
雨の日がすきになってきている。
雨の日だけじゃなくて、
どんな日も、
どんな季節も。
愛おしいというきもちはいったいなんだろう、
眺めるだけで自然と目尻が下がるような、
ともすると涙さえでそうになる、
胸のあたりがじんわり温かくなる、
すきなひとをすきですきで仕方がないというのともちがうような、
母性なのか、
でもそういう気持ちを持つのは女性だけではないし、
ちいさなものやいきものに対してだけのきもちでもない。
最近はねぇ、
生きとし生けるものすべてがいとおしい。
と同い年のあるひとが言った。
いぬとねこどっちがすき?
みたいなはなしをしたときだった気がする。
いぬとかねこどころか、
生きとし生けるものすべてがいとおしい。
わたしもおなじきもち。
だいぶ涙腺がよわくなりはじめたわたしたちのような年代になるとそう感じるものなのか。
それだけでも年を重ねるということはやはり悪くはないことだ。
ある部分では。
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by kibicafe
| 2015-01-15 23:40
| まいにち